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男女共同参画社会を目指して | 新聞掲載記事ログ

男女共同参画社会を目指して

2019年4月15日

政府では、「社会のあらゆる分野において、2020年までに、指導的地位に女性が占める割合が、少なくとも30%程度になるよう期待する」との目標を設定し、男女共同参画社会を推進しています。6月29日、政府が最重要法案とした働き方改革関連法が参議院本会議で可決成立し、残業時間の上限規制や、正社員と非正規社員の不合理な待遇差を解消する「同一労働同一賃金」、高収入の一部専門職を労働時間の規制から外す「脱時間給制度(高度プロフェッショナル制度)」が導入されることとなりました。昨年10月に改正された育児休業法とともに、女性の雇用確保と活躍の場の拡大を目指しています。

2017年11月2日、世界経済フォーラム(WEF)が公表した各国の「ジェンダー・ギャップ指数(Gender Gap Index:GGI)」によれば、日本は114位で昨年111位から3つ下がっています。この指数では、ジェンダー間の経済的参加度および機会、教育達成度、健康と生存、政治的エンパワーメントという4種類の指標を基に格差を算定しています。

では、日本は昔から女性の地位が低かったのでしょうか。古代日本の家族制度は、女性はずっと生家で暮らし、そこに夫が通ってくる「招婿婚」であったとする説があり、子供が生まれると女性の家で育てられ、母方の財産を相続するというものでした。源氏物語や更級日記に代表される平安期の文学には、女性のもとに男性が通う記述がしばしば登場してきます。この時代、女性の自由度が高く、恋愛についてはかなり自由に広く認められていたことが女性による文学が花開いたと言われています。また、和歌のメインテーマは恋愛であり、女性の歌人も多く輩出し、平安文化の担い手として、女性は大きな役割を果たしていました。

政治的な場面において女性の地位を歴史的に見れば、持統天皇、北条政子、日野富子など強い権力を保持していた女性もいましたが、日本の長い歴史の中のそのほとんどが男性社会であったことは否めません。皇族の史実の中においても、女性天皇が何人かいますが、女系による継承は行われてはいません。女性天皇は、配偶者が皇族か、生涯独身であり、女性天皇が天皇家以外の男性の子供を産み、その子が天皇になるという事実はありませんでした。

現代の婚姻制度について、夫婦いずれかの姓を名乗ることが民法で定められており、多くの女性は夫の姓を名乗っています。この民法の制度自体が、女性の地位向上や社会進出を阻んでいるとの意見があり、旧姓使用について認められるようになりましたが、夫婦別姓については、未だ民法上の制度導入には至っていません。歴史的に見れば、古来、日本は夫婦別姓でしたが、それは必ずしも女性の地位が高いことを示しているものではありませんでした。結婚後も、実家の家父長権が強く、実父の苗字を名乗っていました。現代でもその名残として、今では着ることはほとんどありませんが、紋付の着物の場合、結婚後も女性は実家の紋を付けることになっています。また、女性の呼び名については、父親の影響が強く、源氏物語の著者「紫式部」は、父親の藤原為時の官職の「式部」の上に「紫」を拝しています。源頼朝の正室である北条政子は、実家の姓「北条」に父親の北条時政の「政」をとって「政子」としたのです。

歴史的に女性が活躍する場面は多くありましたが、全ての女性の地位が男性と同等であったとは言い難いのです。名古屋税理士会の会員数に占める女性の割合は13.58%で、名古屋税理士会役員のうち、女性が占める割合は、6.25%と決して高くはありません。男女共同参画社会の実現は、社会の多様性と活力を高め我が国経済が力強く発展していく観点や、男女間の実質的な機会の平等を担保する観点から極めて重要で名古屋税理士会も積極的に取り組んでまいります。

【税理士 大川雅彰】